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空の白、雪の町  

もう夜の11時だというのに空がなぜか明るくて、おまけに曇っているので、育った町の冬景色が思い起こされてしかたがない。

 

育った街。

海沿いの小さな町。のくせに、海までは少し遠い。

住んでいた時分にも一度しか海へいったことがない。

 

その町は、雪が降ると空が白くなった。

真っ白な空。天球を覆い尽くす雲のヴェール。そして同じくらい真っ白な大地。

お互いに共鳴して反射しあうように、雪の降った日の朝はどこもかしこも純白に発光していた。天と地の境目がわからなくなるそんな冬の景色が好きで、その町を離れた後も、雪景色に故郷を感じた。

 

故郷。

不思議な言葉。不思議な響き。普通の人にとっての「故郷」とは生れて育った場所の事なのだろうか。私は、その町では生まれていない。住んでいたのも4才頃から小学校を卒業するまでの間だ。それなのに、それなのに、その町を離れて思うことは、ああなんてあの町は私の一部だったのだろう。

 

知らない人も、知らない場所も沢山あったはずなのに、あの土地に住む人々、あの土地に漂う空気、そのすべてが広大な「私」を構成する延長線の一部だった。

 

高校入学と当時に両親と東京に引っ越した。それから外国に住んでいた時期もあったけれど、一貫して雪の「ちゃんと」降る土地に住んだことがない。雪への思いが、故郷への思慕と同じくらい私にのしかかる。ゆるやかに、確実に。

 

故郷。

人はよく、故郷をでたがるのだと聞く。そういえば、ふと思い出す。わたしもいつか出ようと思っていたのではないか。というより、「町をでる」ということと「未来を切り開く」という言葉はほぼ同意語だったのではないか。

町を離れてすぐは帰りたくて帰りたくて、雪が降ると、夜にコートを着込んでは雪にあおむけに寝転がった。そして、雪が私に降り積もるのをただただ眺めていた。「空はつながってるよ」友達が励ますことばを、お祈りの言葉のように自分に刻み込んだ。空はつながっているから、だから、私にふる雪も、空を通じて故郷とつながっている。


 

国道を北上して歩いて行けば家に帰れるだろうか。

そんなばかげたことを中学生の頃は時折思った。

もちろん、もう中学生なので、それがどれだけ非現実的な考え方かはわかる。非現実的なので、しなかった。狂ったと、思われるから。でも大人になって今思うことは、歩かせてあげればよかった、十代の自分に。ただただ故郷に向かって、一歩一歩歩かせてあげればよかった。

 

いまは、以前ほどその町に帰りたいと思うことは少なくなった。

それは、もう友達がそこに住んでいないから。

それは、自分の居る場所と自分の人生があると感じる場所が重なるようになってきたから。


 

「帰りたい」というのはひとえに、心が居たいと思う場所と、体のある場所が違う時に起こる心的現象だと思う。

 

それでも、わたしはよくあの町を思い出す。それは母が昔弾いていたピアノの曲を耳にしたとき。同じ形のフェンス、同じ形のどぶ板、同じ形の道端の雑草、同じ形のマンホールを見た時。そして、眠っている間の夢の中で。

 

今は、思い出すのは楽しいことばかり。

もこもこのミトンの手袋。

石油ストーブの匂い。

その上にかざして本物のおせんべい屋さんのようにして遊ぶ「せんべ」の手遊び歌。

かたくりこを踏みつけたような雪の感触。

白。真っ白。全てを包み込んでくれる。

冷たいのに、あったかい。

あの頃私を育て守ったいくつもの雪は水蒸気になり私の一部になりそして今も私を守ってくれているのだろうと思う。

このショートエッセイは小説投稿サイト「カクヨム」に

2016年11月30日に掲載されたものを転載したものです。

2016年11月30日

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